福岡・北九州両市長の思惑 思いつき高島市長、根回し北橋市長 [2012年8月17日17:48更新]

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福岡市と北九州市。県民人口500万の半分を抱え、九州を代表する2つの政令市は、片や民放アナウンサー出身の青年市長・高島宗一郎氏、一方は数々の選挙を経てきたベテラン政治家・北橋健治氏がそれぞれトップを務める。対照的な取り合わせだが、重視する施策、取り組む手法も随分と色合いが異なるようだ。ここ数カ月間だけでも、震災がれきの受け入れ・禁酒令・スマートコミュニティ事業・中国公務員研修受け入れ……と数々の話題を呼んできた両市長。さて、新世紀の〝二都物語〟を繙(ひもと)いてみると…

オール与党の市政

北九州市は旧鉄道省OBの谷伍平、旧建設省OBの末吉興一両氏が計40年間市長を務めた「鉄の街」。しかし新日鉄八幡の規模縮小をきっかけとする「鉄冷え」に長年苦しみ、官僚出身市長は道路、橋、港湾などのインフラ整備をテコとする施政を続けた。北九州空港の海上建設、紫川改修、黒崎副都心再開発…。巨額の公共投資を伴う施策はときにハコモノ行政と揶揄もされたが、良くも悪くも、その結果が現在の北九州の背骨を作っている。そして北橋氏の就任に3年先立つ04年、市は人口100万人を割った。
「市民の参加を得ながら行政のあり方を決めていく道筋を大事にしてきた」。ことあるごとに強調する北橋氏。旧民社党出身で旧福岡2区、その後は福岡9区で計6期、衆院議員を務めた北橋氏の最初の市長選公約の柱は「福祉・子育て」と「対話」。07年の初当選以降、市民参加型の審議会を次々と作り、市民との対話集会「タウンミーティング」に年間数十回も出席。休日も市民会合をこまめに回るほか、対立してきた自民党市議の集会にも足を運んでは陳情を受け付ける。北九州市長のイメージは相当に変わった。
強力な官僚主導で進められてきた市政の大胆な方向転換だが、一代議士出身の政治家としてはそれが限界だったともいえる。孤独死問題で批判を浴びた「闇の北九州方式」と呼ばれる生活保護行政に対し、役所が設けた数値目標の撤廃を指示するなど申請率向上につなげる施策にも取り組んだが、1期目は見るべき成果に乏しいといっていい。
だが、地道な活動は4年後の市長選で得票率7割超という〝評価〟を生む。最大の要因は候補擁立見送りという自民党の〝不戦敗〟だが、それも自ら呼び込んだものといっていい。任期半ばの09年には支持母体の民主による政権交代選挙という追い風もあったが、逆に「私は市民党党首」と等距離外交を貫いた。加えて「対話」で築いた人気を背景に地元財界まで抱き込んで自民を〝自壊〟に導き、対抗馬は共産だけという信任選挙に持ち込んだ…というのが今や定説だ。市議レベルで自民の支援も相次ぎ、ある自民市議は「自分は市民党と言い続けてくれたので、乗りやすかった」と漏らすほどだった。

環境技術で都市経営

こうしたしたたかさは2期目の現在、より鮮明になりつつある。新たに掲げた旗は「緑の成長戦略」。「スモッグと煤煙による七色の空、黒い海」を克服した環境技術を都市経営の推進力として生かそうという構想だが、実は、最初に発想したのは前任の末吉氏。北橋氏はうまく換骨奪胎して自らの政策にしてしまった。
これが看板だけではない実績に変わりつつある。昨年はカンボジア・シェムリアップ市の浄水場建設計画策定補完業務を成功させ、年末には同国主要9都市水道マスタープランのコンサルティング請負が実現。また事実上、北九州が主導した「グリーンアジア国際戦略総合特区」が福岡県、福岡市の3者共同申請で国に選定されたほか、独自提案した「環境未来都市」にも選ばれ、全国唯一のダブル選定都市となった。それらを予言するように、09年には中国の次期最高指導者、習近平国家副主席の訪問を受け、「北九州市の経験は参考にする値打ちがある」と言わしめている。
一方、電力需給逼迫の折柄、八幡東区東田地区ではコジェネ発電や需給に応じた変動電気料金などを柱とする「スマートコミュニティ創造事業」を展開。在京キー局やNHKで取り組みが繰り返し全国報道され、「環境先進都市」を印象づけた。
話題を呼んだ「震災がれき」受け入れも〝対話の北橋方式〟が威力を発揮した。大小620回を超す説明会に市民約2万3600人が参加。自公の市議に「市長の努力に敬意を表する」、共産からも「安全は担保された」とほぼ全面的な支持を受けた。

パフォーマンス市政

一方の〝青年市長〟高島宗一郎氏。「自分は行政の素人」「(支持母体の)公明党、自民党の言いなりにはなりません」。数々の不思議な言動で注目を集めた市長。昨年12月に就任1年を振り返っての自己評価は「すごく充実した。点数は120点」。
果たしてそれだけの内実があったのか。評価の背景には何があったのか。
高島氏も
「過去」を出発点としていることでは北橋氏と変わらない。たとえば就任早々に直面した、市立こども病院のアイランドシティ(人工島)移転問題。賛否両論を第三者委員会方式で俎上にのせ、「人工島移転やむなし」の世論づくりを導いた。市議会でこそ、「財政負担が明らかになっていない」「アリバイ的に専門家の都合のいい意見を取り入れた」と批判はされたが、「(移転決定の)すべての過程をオープンにして課題を市民と共有でき、理解いただけた」ととぼけてみせた。
高島氏は元来が市長選までは「こども病院の人工島移転推進」を掲げ、告示直前に「見直し」に転じた確信犯。委員会開催で「一番勉強になったのは市長だろう」と皮肉る声もあるが、自身は日曜日の委員会開催やインターネット生中継など新規の手法をとったことを挙げ、「市民が市政を知る機会が増えた」「前例にない方法で議論をオープンにできた」と最大限に自己評価する。
同じく「リーダーシップをとった」と自認するのが、話題を呼んだ「禁酒令」。06年の3児死亡事故を背景に、職員・教職員の飲酒運転や暴行・傷害事件が相次いで露見したことに対して全職員の外出先での1カ月禁酒を求めた。大方の職員は「これだけ不祥事が続けば仕方ない」とあきらめ顔だったが、中洲や天神などの飲食業者からは強い反発が起こった。ある屋台店主は「あれは『連帯責任』か『見せしめ』。おかしいよ。仕事上の指示ならまだしも、プライバシーに口を出して」と憤懣やるかたない表情だ。あるいはそれは、下戸といわれる市長の「共感力」のなさかもしれない。

独善すぎた発信

ただ、以上の2例だけでも分かることがある。高島氏が市政運営で最重要視するのは「発信力」なのだ。就任1年でテレビ出演は20回を超し、若者に広がる「ツイッター」も駆使。情報を受け取る「フォロワー」は2万5000人近いという。
その発信力が裏目に出た事例も、高島市長は最近経験した。中国の公務員を年間800人受け入れるという構想。市長のツイッターだけでなく市の広報窓口も「税金使って売国奴か」「スパイが入り込んだらどうする」とたちまち「炎上」した。
この構想は「稼ぐ都市」という高島市長のもう一つの看板を具体化したもの。だが強引にソロバンを弾いただけというのが見透かされたのか、実績がないからなのか。説得力を欠き、結局は「発信力倒れ」となりそうだ。
発信力に頼る手法を、ある与党市議は「『お手本』がある。橋下徹・大阪市長だよ」と解説する。「『禁酒令』直前、橋下市長は職員への入れ墨調査を断行し大きな議論を呼んだ。それが相当印象深かったんじゃないの」。かっこよければ真似る…そんな軽さは、常に国政転身が囁かれる所以でもある。
昨年12月の政治資金パーティーでは財界人から「発展のためには幹部職員とも打ち合わせ、総合力を上げて」と〝内政干渉〟され、市議との懇親会では「福祉施策を何かやったか」と言われて答えに窮した、という。「その場しのぎのパフォーマンスではこの先、行き詰まるな」。両方を見聞したある市議はそう感じたという。

低姿勢で「オール与党体制」を築き、「環境未来都市」の内実を地道に埋めるしかない北橋健治・北九州市長。派手なパフォーマンスで話題を作り、「素人」ながら場数をこなしてきた高島宗一郎・福岡市長。かつて末吉興一・元北九州市長は「福岡はいいんだよな。何もしなくても人やカネが集まってくる。うちは必死に事業を引っ張ってこないと浮き上がれないんだよ」と漏らした。今のところ両市長の差は、なおその域を脱していないように見える。対照的な手腕のどちらが勝るのか、結局は両都市の浮揚具合を見守っていくしかない。

がれき受け入れ説明会

影響を受けた屋台