【記者’sEYEs】 – 節電要請はいいけれど [2012年8月1日16:54更新]

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枝野経済産業相との派手な喧嘩に敗北、結局人事の変更で「やらせメール」問題にピリオドを打った九州電力が経済産業省の不興を再びかったようだ。会長・社長の交代後は静かになりを潜めて、川内原発の再稼働を待つ姿勢に徹していた、九電が何をしでかしたのか。 関係者の取材を行ったところ電力供給責任者にあるまじき態度が明らかになった。『計画停電に関するお知らせ』なるハガキを各家庭に配布し、住民に犠牲を強いることをお願いしてきた九電が、未来に対する施策を考えることは当然の義務。ところが九電は原発再稼働だけを希求し、代替エネルギー開発に無関心、というのがその真相らしい。

小川福岡県知事 電力事業検討

6月15日の福岡県議会での代表質問に対する小川洋知事の返答は画期的なものだった。電力事情が窮迫している現在、方策を考えているのかとの質問に対し、知事は「民間の力を活用したLNG(液化天然ガス)火力発電所の建設を検討したい」と答えたのだ。おりしも27日には東京都の石原慎太郎知事が「東京都として効率のよいLNG火力発電所を民間の力も活用して建設する。1基、200億円程度で作れる」と言明。また橋下徹大阪市長も同方式の火力発電所を建設したいと述べるなど、地方首長の中からも同様な意見が出てきた。

この背景には原発問題の深刻な影響がある。夏の電力不足に備え、大飯原発の再稼働を野田内閣が急ぎ決定したとはいえ、電力事情は改善されてない。しかも、原発再稼働後は原発の老朽化が問題となる。40年限界という法律を、現実問題を優先して延長したとしても、50年、60年と野放図に引き延ばすことはできない。金属疲労を原因とした炉心溶融でも起きれば、その被害は福島第一原発の比ではない。

だが「福島の悲劇」を経験した現在の日本人が、原発の新設を簡単に認めるわけはない。今後、生まれてくる福島を知らない世代がリーダーとなる100年後はともかく、これから50年はまったく問題とならないことは明らかだ。もし再稼働を次々と実現したとしても、耐用年数を迎えた原発を一つひとつ廃炉にしていけば、いずれは電力が慢性的に不足する国・日本というレッテルが貼られる。

その意味で電力問題を焦眉の課題として、各地方からLNG火力発電所の建設という問題が、再生エネルギーの活用とともに浮上してきたのは必然のこと。 九電会長が冷笑  小川知事の答弁を機に電力問題の解決に向け、地域の企業がどう動くか、これはマスコミの関心事だった。特に「腐っても鯛」で、地域の電力供給に責任を持つ九電の態度は注目を集めた。ところが九電の貫正義会長は、ある記者に対して、「九電はそんな事業に参加しないし、県も参加しない。膨大な金がかかる。誰かが無責任にふりまいているデマだ」という態度をとったとの噂が流れた。

これを伝えきいた経産省が「まだ殿様気分なのか」と怒ったという。それもそのはず、経産省は日本のエネルギー問題解決のため電力の安定供給には環境負荷の少ないLNG火力発電所の整備が必要、との考えで新エネルギー政策の設定に乗り出しているからだ。ウラジオストックに日本・ロシア合弁でLNG基地を建設することで合意し、国内でLNGパイプライン建設も検討している。石原知事や橋下市長など霞が関にアンテナを持っている首長がこぞってLNG火力発電所の建設を検討すると言い出したのはこうした国の姿勢に起因する。小川知事も経産省出身。母体の情報には敏感であるはずだ。

だがこうした全体的な動きから疎外され、ただ野田内閣の要原発路線展開に期待し、川内原発再稼働を待ち望む姿勢を貫く九電からすれば、電力発電という自らの聖域に自治体や地域有力企業が進出しようとするのが気に入らないらしい。1基1兆円という廃炉費用や1日1億円という休炉費用を考えれば、1基200億円という発電所建設費用などたかが知れている。わざわざ貫会長が「膨大な費用」といったとすれば、それこそ何も考えていないことを証明したようなものだ。

電力供給は九電の逃れようのない責務だ。危機感を持った地域の首長や議会から積極的な意見が出てきた現在、むしろそれをリードする気概をもって臨むのが九電のあるべき姿ではないか。経産省官僚は「事態の根本がわかってない人が会長に座ること自体問題。そもそも電力不足のもとで、積極的な提案を評論する資格があるのか、自らの立場を考えるべき」と語る。

電力問題解決は 地方再生の鍵

電力問題は家庭の節電などで乗り越えられる問題ではない。九州に各企業が立地を求めてきたのも、安い労働力ばかりでなく、水と電気が豊富であることが魅力だったからだ。それがいまや電力が足りるかどうかわからない九州に、わざわざ進出する企業は皆無になった。いや、企業撤退が続々と出ているというのが実情だ。地域の首長たちが、このまま手をこまねいていれば10年後には日本でもっともさびれた地域になるだろう。彼らが慌てるのも当たり前のことだ。

ところが九電のトップには、目の前の夏しか考えられない人物が座り、100年後、200年後の未来を考える意見に悪罵をなげつける。その言葉自体に福島を想定外とみて、運が悪かったとしか考えない傲慢さを感じる。経済産業省ではないが、猛省を促したい。