(07年5月号掲載) 仲間たちはいずれも、いくつかの施設を経験してきた。そこでは24時間、日課が決まり、職員は先生で、障がい者はどんな年齢でも生徒、そして自ら取り組む仕事ではなく「訓練」だった。 「そうした体験から『訓練ではなく、どんなわずかなお金でも、仕事として誇りを持って働きたい』『周りから指示されるままの人生でなく、これからの人生を自分で作りたい』という願いを持って集まった仲間でした」と語るのは、当時、ボランティアとして参加した石橋徳拓さん(現在、第2ひかり共同作業所所長)。 共同作業所の始まりは1969年、名古屋の知的障がいの人々と親たちが作った「ゆたか共同作業所」といわれている。「知的障がい者に仕事ができるのか、無理ではないか」という声がある中で「働くことを通してこそ人間的な豊かな成長や発達ができる」と主張して「障がい者が主人公」の作業所づくりを進めた。 この考えに共鳴して全国で共同作業所が作られ始め、1977年8月、名古屋で「すべての障がい者に」「仲間達が主人公として」「地域の中で」を理念・目標にして「共同作業所全国連絡会」 (略称・共作連=きょうされん)が結成された。その時、集まったのは6都府県の16カ所の作業所で、九州からの出席はなかった。 「この結成の知らせが私たちにも届いたんです。理念・目標は私たちが議論していたことと全く同じでした。全国に同じことを考えていた仲間がいたことに励まされ、早速加盟して一緒にやっていくことを決めました」 廃品回収や百円ライター販売で資金作りを始め、翌年には近くにアパートを借りて、仕事もタイプ印刷などにも広げたが、外部から何の援助もない中での運営は厳しく、加えて意見の衝突もあって、一時は存続の危機も迎えたという。 しかし、仲間たちの働くことへの意欲は強く、危機を乗り切って80年3月、発足2年半にして初めての給料3000円を仲間4人と職員1人に支給することができたという。 作業所が本格化する中で取り組んだのが、福岡県、福岡市への補助金制度作りの請願活動。他の障がい者団体とともに地域へも訴えていった。廃品回収で1軒1軒、コツコツと回ってきた活動が力になった。そんな地域の公民館や民生委員の協力も得て、81年10月に鳥飼公民館で第1回バザーも開催することができた。 こうした力がついに82年、福岡市に小規模作業所補助金制度を実現させた。「年間85万円と少額でしたが、行政が共同作業所を認知したという大変大きな一歩でした」と石橋さん。これによって作業所開設の最初の障壁が取り除かれ、少しずつ作業所が広がっていく。ひかり作業所も社会福祉法人化や第2、第3の作業所作りに取り組んでいくことになる。
今から30年前、1977年10月、福岡市城南区鳥飼の市営住宅の一室で、福岡で初めての、障がい者自らが作り出した障がい者の働く場、共同作業所が産声を上げた。障がい者の仲間8人、親1人、ボランティア2人で出発した「ひかり共同作業所」である。
福岡で最初の共同作業所 「ひかり作業所」の30年(上) [2007年5月15日11:23更新]
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福岡の作業所作り黎明期

