(07年3月号掲載) だがもし、彼らがミスを犯し、決してそれを認めないばかりかその絶大な権力を使って隠蔽しようとしたら─。「そんなばかなことが・・」という方に、ある工場をめぐる裁判から一例を紹介しよう。 発端は北九州市在住(当時)の神前一郎さん(84)が福岡銀行から受けた融資だった。 神前さんは田川市内に工場を所有し鉄工業を営んでいた。1990年8月、この工場と土地に極度額6000万円の根抵当権を設定し、福銀から融資を受けた。この後、神前さんは追加融資を持ちかけられたが結局融資はおこなわれず、鉄工所は倒産に追い込まれた。 この融資の経緯をめぐって神前さん、福銀双方から貸金請求・損害賠償請求など多くの民事裁判や刑事告訴が起こされてきた。そのうち判決が出たものはすべて、福銀側に有利な結果となっている。本紙が問題とするのは、抵当として差し押さえられ競売に掛けられた、工場内に置かれていた旋盤などの工作機械についてである。 神前さんの鉄工所が事実上倒産したのは99年。その後、00年11月に福岡地裁田川支部が工場などの競売開始を決定。工場と土地は差し押さえられたが、同時に工場内の工作機械までが競売に掛けられた。 根抵当権が設定されていたのは、前述の通り工場の建物と土地だけであり、これは登記簿を閲覧すれば明白である。当然ながら神前さんは「抵当に入ってない機械を競売に掛けるのは不当」との申し立てをおこなったが、これらの抗議は最終的にすべて却下され、機械15基は06年、落札者に売却された。 普通に考えれば、抵当権が設定されていたのは土地建物だけであり、工場に固定されていたわけではない工作機械類まで差し押さえられるのはおかしい。また、それらの大部分は根抵当権が設定された後に購入されたものである。なのになぜ裁判所は、機械まで競売開始の判断を下したのか。 昨年福岡高裁で出された「売却許可決定に対する執行抗告事件」控訴審判決(06年6月)から、判決文を引用しよう。 「工場の所有者が工場に属する建物の上に設定した抵当権は、その建物に備え付けた機械、器具その他工場の用に供する物に及ぶ(工場抵当法2条)ところ、一件記録によれば、本件機械器具等はいずれも、抗告人が工場につき債権者のために根抵当権を設定した平成2年12月21日には既に同工場に備え付けられていたものと認められるから、これらを評価した上で売却することに何ら問題はなく(以下略)」 工場抵当法に基いて抵当権が設定されていれば、その効力は工場内の機械にまで及ぶ、だから売却するのは問題がない―というのである。 さて、ここで問題になるのが、一般にはなじみの薄い「工場抵当法」である。 実は、抵当権がどこまで効力が及ぶのか(抵当権設定後に搬入された付属物など)、司法界でも解釈が分かれているのが現状である。同法はこの問題を補うために作られた特別法で、工場所有者がその工場・土地に工場抵当権を設定した場合、工場内の機械類にまで効力が及ぶ上、設定後に追加された機械類も含まれる。ただし、工場抵当権を設定する場合には機械類などを記載した目録を提出しなければならず、これは登記簿の一部とみなされる。 では、神前さんの工場に工場抵当権が設定されていたのか? 答えは否、である。登記簿には同法で定めた目録は存在しない。ちなみに、このことは「争いのない事実」としてほかの裁判の判決文(04年地裁田川支部「第三者異議事件」など)には明記されている。 それでは、どうして裁判所は「工場抵当法」など持ち出してきたのか。地裁田川支部が機械類までも差し押さえたのはなぜか。 田川支部の執行官が作製した「現況調査報告書」。これは、競売開始が決定した物件について執行官が現状を調査し裁判所に提出したものだが、これには「工場抵当法関係の機械器具等の調査」と書かれている。 ここからは筆者の推測である。執行官が提出した報告書を見た裁判所側は、工場抵当法による抵当権が設定されているものと勘違いし、機械類まで競売に掛けたのではないか?その後、どこかの段階で工場抵当権が設定されていないことに気が付いたのだが、裁判所が犯したミスを自ら認めることになるために、神前さんの訴えをしりぞけ続けているのではないか? そもそも、なぜ執行官はこのような報告書を提出したのか。 実は、この執行官は事前に法務局を訪れて登記簿を閲覧しており、これは報告書にも明記されている。登記簿をみれば工場抵当権が設定されていないことは明白だ。そうなると、単なる勘違いではなく、意図的に事実を曲げたのではないかとの疑いも出てくる。 なぜ抵当権がついてない機械類まで売却させられたのか。裁判所のミスではないのか。執行官はなぜ事実と違う報告書を提出したのか。神前さんは今後も裁判を通じて自らが正しいことを訴えていく方針だ。だが、これらの疑問に対する答えが法廷で明らかにされる可能性は、残念ながら極めて低いといわざるをえない。 司法家、特に裁判所は、「司法の権威」の失墜を恐れるあまり、1度下した判断を覆すことはめったにない。まして、自らのミスを認めたりすることは許されないのである。たとえ、一市民の生活や財産を脅かすことになったとしても。 まさに「司法の闇」としか言いようがない。 「そんなばかなことがあるはずがない」という人もいるだろうが、これが現実である。「法律が自分たちを守ってくれる」と盲信するととんでもないことになりかねない。神前さんの例が、それを示している。
一般の人間にとってなじみが薄く、難しい知識の代表に法律が挙げられるだろう。いうまでもなく法律は法治国家の根幹をなし、だからこそ、それを生業とするプロたちは強烈な誇りと自負をもって仕事にのぞんでいる。一般市民は法律家に尊敬と信頼の眼差しを注ぎ、法の執行に関して公正、公平性を疑うことは通常、ない。
(写真=福岡地裁田川支部)
法律のプロたちが犯した「勘違い」? 鉄工所への融資めぐり [2007年3月15日18:25更新]
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