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(08年11月号掲載) かつて県内には多くの炭鉱が存在し、それぞれが産出量を競った時代があった。だが時は流れ、「炭坑節」の舞台となった煙突も今やライトアップされ立派な観光名所となっている。 石炭産業華やかりし頃は博多も賑わい、那珂川の河畔には多くの料亭や料理屋が軒を連ね、芸妓が行き交う粋な街であった。麻生・貝島・伊藤家が「石炭御三家」と呼ばれ、その末裔の1人が言うまでもなく現在の麻生太郎総理である。 しかしエネルギー革命で石炭産業は斜陽となり、オーナー社長の数が減ったこともあってお座敷遊びの出来る粋人の多くが引退した。芸妓の数も減り花柳界で使われていた言葉も今や死語になりつつある。さらに官々接待の舞台として利用されマスコミに叩かれたり、経済が下降線をたどるなど時代情勢が変化。料亭も生き残りを賭けて苦しい経営を強いられている。 こうした状況でも「嵯峨野」(博多区住吉)は後発組ながら、創業者の包丁裁きと新しい料理のアイデァで舌の肥えた福博の通人を魅了。先代が亡くなられてからは女将を中心に家族が結束し「お客様第一主義」で店を守ってきた。そんな嵯峨野も現在の建物が老朽化したために1年半をかけ建て替えることを決め、来年2月から再開まで仮店舗での営業が予定されている。 今の世の中は「一寸先は闇」、変化は速く短い間でも何が起こるか分からない。だがこういう時こそ大分・湯布院「夢想園」の女将のように真価を発揮し、素晴らしい「新・嵯峨野」として再出発してもらいたいものである。 (J)

