19歳で結婚、福岡に飛び出て得たご縁 – 「一期一会」と「報恩感謝」 [2012年8月1日16:51更新]

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株式会社ハルクジャパン 社長 普久原朝昭(ふくはら ともあき)さん(48歳)

ご縁を大切にする

「一期一会」人との付き合い方でよく使われる言葉だが、本来の意味は「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という茶道の言葉から来ている。これから何度も会うかもしれないが、もしかすると二度と会えないかもしれないという覚悟で、人と接するべきという先人の教えは、目まぐるしく過ぎる時間軸の中で生きる現代人こそ心がけたいものだ。 しかし、言うは易く行うは難しで、この「一期一会」の精神を守ることがいかに難しいことか。読者諸兄も肯かれる方が多いことだろう。

旅行代理店を営む普久原さんの周囲からの人物評は「世話になった人に礼を尽くすとても義理堅い人」だ。ある元県会議員が大病で病に臥しても、普久原さんは足繁く見舞いに訪れる。「過去の人」になったとしても、お世話になった人を大事にするという、「一期一会」と人情を重んじる生き方の、その原点は果して何だろうか。

普久原さんは高校生まで熊本で暮らしたが、卒業とほぼ同時に1つ年下の奥さんと19歳と18歳で結婚。「結婚してとにかく仕事をしなければと福岡に出てきました」。当初は生活に困って福岡に進学した熊本時代の友人の下宿に夫婦2人で身を寄せたこともあった。手に職をつけようと料理人を目指し、警固にあった居酒屋に就職し、4年間、毎日16時間働いた。「最初は生活のために手に職をつけたいと思っていましたが、次第に色んな勉強がしたくなってきました」。

次の仕事は酒販店のルート営業だった。顧客は企業や役所が多く、スーツを着ての営業も多かったが、働き者の普久原さんは、「力仕事でも何でも自分でやっていた」という。そうして7年間働いた頃、「以前から旅行が好きでした。しかし結婚し、社会人になって働き詰めで、それまで旅行には行けなかった」。そこで、普久原さんは、福岡の旅行代理店でセールスの仕事を始めた。

旅行業界は全く経験がなかったが、先輩に付いて3日程習うと後は放任主義で、自分の力だけで営業しなければならなかった。「最初の3ヶ月間の成績はゼロでしたが、それまでご縁のあったところを回るようになると皆さんに良くしていただけました」。それまで働いた会社で義理を果たしてきた普久原さんだったからだろう。6ヶ月で成績はトップになり、毎月表彰される程になったという。

2年半勤め、平成7年、父親の休眠会社となっていた株式会社ハルクジャパンで旅行代理店として独立する。辞める時には顧客を会社に返すのが通例だが、円満退社しての独立だったこともあり、「そんなことはしなくていい」と送り出されたという。 報恩感謝  従業員4人でのスタートだった。当時は酒販店時代からの役所との関係があり、団体旅行を扱うことが多かったという。熊本から福岡に飛び出してきて、ずっと人との縁を大切にしてきたことから、潜在顧客は多かった。

4年前からは本格的に貿易事業にも取り組んでいる。顧客から頼まれ美容関係の商品や椅子の部品などの輸入を始めたのがきっかけだった。全く畑違いだったが、必死になって取り組むうちに、本格的に任されるようになったという。今では5、6社の日本企業からの注文で工業製品を主にあらゆるものを扱っている。輸入が主で、中国や韓国の工場に直接行ってつくってもらったものを買い付けて、BtoBで商品を卸している。

旅行業界全体はネット販売に押され、厳しい状況が続いている。そんな業界の現状の中で普久原さんは貿易に取り組んできた経験を活かし、新たなサービスを始めようとしている。「中国進出を狙う法人に対応したサービスで、現地での情報収集や視察のプログラムづくりなどをします。また、東南アジア、特にミャンマーやベトナムでの同様のサービスも考えています」。

また、来月には自分のルーツである沖縄に事務所を開設、今後は中国と沖縄に特化したサービスを充実させていく予定だ。沖縄では有効期間の3年以内なら何回でも日本に旅行できる中国人個人観光客向けの数次ビザという特殊事情に合わせた事業展開を計画している。「熊本で育ちましたが、子供の頃、父親のルーツである沖縄で2年半暮らしたことがあります。沖縄には先祖崇拝の慣習がまだ色濃く残っていて、若者も地元が大好きで、日本人が失った大事なものが残っているように感じます。その郷土愛は見習うべきところですし、これらを活かした事業もしていきたいです」。  「報恩感謝」この言葉も口にするのは簡単だが、ついつい自分一人で生きてきたような顔をしてしまい、それを実行するのは難しい。普久原さんに「報恩感謝」を実行させているのは、若い夫婦2人で福岡に飛び出してきて、必死に生活するための仕事から積み上げてきた経験の中で、周りの人間に助けられ、教わってきたという感謝の気持ちが沁みこんでいるからだ。

「経験を積み上げてきて感じる人間関係の原点が、お世話になった人への感謝の気持ちでした。環境にも恵まれていたのだと思います」。一期一会のご縁で人と出会い、報恩感謝を実践してきた普久原さんの会社では、熊本から飛び出したばかりの頃、若い2人が下宿に身を寄せた友人が、今では専務として経営を支えている。  「今の自分があるのは、色んな方のお力添えがあってのことで、その恩を一生掛けて返していくのは当たり前のことだと思います」。

結婚してもうすぐ30年が経つ。奥さんはいつも隣りにいる空気のような存在で、陰ながら支えてくれた戦友のような存在だという。「ずっと順風満帆ではなく、食えない時代もありました。ずっと苦労をかけてきた、やっと3年程前から妻にはゆっくりしてもらっています」。普久原さんは48歳にして2人の孫がいて、今は孫と遊ぶのが何より楽しみだという。