営業の真髄 [2012年12月17日15:03更新]

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福岡財界には「七社会」と呼ばれている不思議な団体が存在する。正式には「互友会」と呼ばれるもので、各社の役員から部長、課長級の各クラスで定期的に会合が持たれ、情報交換が行われる、非公式の任意団体だ。

九州電力を筆頭に福岡を代表する、福岡銀行、九州旅客鉄道、西日本鉄道、西部瓦斯、西日本シティ銀行、九電工の7つの企業で構成されており、政治経済活動においては非常に大きい影響力を持ち、福博の経済界を牽引してきた功績は大である。

今回はこの「七社会」のメンバーである福岡銀行と、今や新しいエネルギー企業として、また経営の多角化を積極的に推し進め、注目を集めている西部瓦斯の話をしてみたい。

西部瓦斯が本社を千代町から、警固小学校向かい側の警固2丁目に移転してきた約60年前。福岡銀行の融資先は筑豊地区の石炭企業が大半で、ガスと言う新しいエネルギーが理解出来なかったのか定かではないが、西部瓦斯は福岡銀行から取引を断わられ、以降も長い間両社の間で取引は無かった。

その後、西部瓦斯は東証一部上場企業となり、都市ガス供給戸数も80万戸を超え、取引先として申し分の無い企業に成長した。その西部瓦斯との取引が福岡銀行の会議で議題に挙がり、尖兵の役を当時の杉浦博夫専務取締役が引き受け、西部瓦斯本社に日参したと聞いている。

互いに「七社会」のメンバーであり、何らかの会合で杉浦専務はたびたび西部瓦斯役員と顔を合わせていただけに、役員室などを挨拶で廻れば、子弟の入学や就職、結婚話などに話題が及び、いろいろな依頼を受けたのは当然の成り行きである。

いかに小柄な杉浦専務でも、日参する姿はトップの目に留まり、西部瓦斯社内会議の席上で社長が口を切り、役員が個人的に何らかのお願いをしているようだが、福岡銀行とは取引が皆無であることを発言したそうだ。さらにトップは話を続けて、両社の間の過去の経緯は聞いてはいるが、これほど御世話になってお返しをしないでは杉浦専務に申し訳ない。同時に、西部瓦斯が笑われることになると言って、福岡銀行との取引が始まったそうである。

この話を後年、銀行退職後の杉浦博夫氏から聞いたときに、新規開拓の難しさもさることながら、相手がその気になるまで尽くすという、営業の真髄を教えてもらったことを、今でも鮮明に覚えている。

今年は杉浦専務が亡くなられて7年になる。現在も取引が友好的に続いている福岡銀行と西部瓦斯だが、両社の社員に限らず、営業マンはこのエピソードを肝に銘じて欲しい。

契約を結び、商品を売るのが営業マンの仕事だが、その前に相手に尽くすことを、忘れてはならないと改めて強く感じる。