福岡市長選 現職大敗の原因は? 元陣営関係者に聞く(2) [2010年12月14日13:30更新]

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(10年11月号掲載)

集まった支持者に頭を下げる吉田宏氏(11月14日)「一体何のためにあれだけ頑張ったのか」。ある民主若手国会議員はこう吐き捨てた。 

06年9月中旬から吉田陣営には徐々に民主の若手が参加、勝利に大きく貢献した。その多くは現在、国会議員や候補として活動している。

「敗因は、後援組織を立ち上げたり複数の秘書を置くなどの政務を、彼がまったくしなかったからではないか」(前出国会議員)。 



裸で入って来るな

当選直後、山崎前市長の側近があるマスコミ記者を通じて吉田氏にメッセージを送った。

「裸で市役所に入って来るな」

誰か信頼できる人物をそばに置け、さもないと自分の身が危うくなる─との意味だった。 

陣営関係者は、吉田氏の了承を得て後援組織設立を目指し動き始めた。ところが当時の選対本部長(元県議)がこれに待ったを掛けた。「自分だけが市長をコントロールしたかったのだろう」(前出国会議員)。

市長支援の動きはストップ。陣営関係者はすべて吉田氏の元を離れ、前市長側近の危惧が現実のものとなってしまった。

「市長に祭り上げられれば、耳触りの良いことや役所に都合のいいことしか入って来ない。本当の情報が入らない。たとえ厳しいことでもきちんと市長に進言できる人物が吉田氏のそばにいる必要があった。文字通り裸の王様となってしまった」(前出元陣営幹部)。 

誰の公約だったのか   

「前市長との違いを出したいだけの公約だ、との批判もあったが、それは違う。当時の市政を変えたいのだから、結果的にそうなるのは当然です」

公約作成を担当した元陣営関係者はこう語る。「問題とするならばむしろ別の点、吉田氏自身が公約作成にほとんど関与しなかったことでしょう」 

 

前回選挙戦最中、こんな噂が流れた。吉田氏のことを知らない山崎前市長が末吉興一・北九州市長(当時)にたずねた。吉田氏は地元紙記者時代に北九州市で勤務し末吉市政を担当したことがあったからだ。末吉氏は「大丈夫、絶対に勝てる」と答えたという。その理由は「彼には政策がない」 

「そう言われては黙っていられない。陣営では深夜まで話し合いを続け、時には怒鳴り合いになったことも。こんな街になったら素晴らしいと、皆に言ってもらえる公約ができたと今も自負しています」

前出公約作成担当者は続けた。「ただ今にして思えば、本人を交えて作成するべきだった。自分の公約、自分の政策。そういう意識が薄かったのかもしれません」 

 

公約違反と批判されたこども病院移転問題。「ある行政関係者はこの問題を『選挙の争点になるような案件ではない。粛々と事務手続きを進めればいいだけだ』と話していた。だがそれは間違っていると思う」。元陣営幹部はこう語る。

「移転計画をいったん白紙にすると決めたのは、市民の命と生活を守ることを第1と考える市政を目指す上で非常に重要な問題、吉田氏の姿勢を象徴する問題だと考えたから。

だからこそ吉田氏は、住民投票を求める動きに応えるべきだったし、あるいは自ら住民投票に諮ることだってできた。それが『聞きたかけん』のはずだ」(元陣営幹部)。 

公約作成担当者は最後にこうつぶやいた。「この問題が取り上げられるたびに胸が痛んだ。市長が交代しても問題が続く限り、心から消えることはないでしょう」

 

吉田氏は4年後の市長選を目指す意向を、周囲に漏らしているという。