【お耳拝借!】介護を通じて学んだこと [2011年5月6日09:14更新]

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トステムシニアライフカンパニー主催のトークショーより 女優・エッセイスト 黒田福美氏
(11年4月号掲載)

女優・エッセイスト 黒田福美氏東日本大震災が起きた時、私は東京の自宅にいました。最初に考えたのは、近所に住む母は大丈夫だろうか、ということ。でも人って本当にびっくりした時には気が動転して身動きが取れなくなるんですね。やっと1時間後に行ってみると実に泰然としたもので「家中ホコリだらけになったから掃除をしていた」(笑)。 

戦争を乗り越えた世代は違うなあ、凄いなあと思いました。知恵と勇気、微動だにしない心。精神的ストレスに耐える力がすごく強いんですね。私たちの世代になると潤沢で便利な生活に慣れてしまっていて、だからこういう非常時に買いだめに走ってしまう。

でも父母の世代は違う、「国難だからみんなで助け合わなくてはならない」。学ぶべきことはたくさんあるなと感じています。



母の元を離れて  

私たち母子が仲良くなったのは、実はごく最近のことなんです。 

私は1人娘で好きなことをやって育ってきました。ところが昭和1ケタ生まれの母は戦争で思い通りに生きて来られなかった世代です。「人生は思い通りにはならない、必ず挫折する時がやって来る。今のままではこの子はいつか大きな傷を負ってしまう」。そんな思いからだったのでしょう、母はことあるごとに口うるさく私を叱りました。 

母と娘の関係というのはこじれると熾烈を極めるんですね。このままでは自分の人生を生きることができない─それで20年ほど前、母の元を離れて別居したんです。

それからは順風満帆でした。大好きだった韓国のガイドブックを出版したり写真展を開いたり。大活躍出来ました。 

すべてが思い通り、うまく行っている、母は間違っている。有頂天になっていました。それでも母は「いずれ何かが起きる」と思っていたようなんですけれど。

不安と絶望感  

3年前、日本の特攻隊員として亡くなった韓国人兵士を慰霊するために、韓国に石碑を建てようとしました。韓国政府も前向きだったのですが、ところがこれが政治利用されて除幕式は結局中止に。すべてが水の泡になってしまいした。 

石碑自体は一昨年、おかげさまで建立することができたのですが、この1件がきっかけになったのかもしれません。その後、あるテレビドラマに出演している時に突然、セリフが頭に入らなくなったんです。

初めての経験で落ち込んでしまって「生きていても何もいいことはないのではないか」と不安、絶望感にさいなまれました。 

どうしていいのか分からない─結局、没交渉だった母に連絡しました。さっそく家に来てくれたんですが何も言わないんですね、ただ見守るだけ。掃除や台所仕事を代わりにやってくれて。

本当にありがたかった。今まで何という親不孝をしてきたのか、と痛切に感じました。

傾聴、受容、従順  

何もなければ母の心を知らずに別れなければならなかった、生きていてくれて良かった。そんな母に何かをしてあげたいという思いが強くなりました。老いた時、手厚く接してあげたい。

では何をすればいいのか。そこでちょうど1年前、ヘルパー(訪問介護員)2級の勉強を始めたんです。 

テストや実習を受けてみると、自分は何も知らなかったんだということに気付かされました。普通の人は介護保険のことなんて知りませんよね。

それから技術的なこと。寝たままの状態の人を着替えさせたりシーツを替える方法、車イスの中での体重移動のさせ方。

お年寄りとの接し方も学びました。まず相手の話に耳を傾ける、それを受け入れる、そして逆らわない。それが出来ない時はさりげなく話題を変えたりとか。 

ヘルパーの勉強を始めて母との関係も変わりました。もうかつてのような頑強な親ではないんだ、老いているんだと気付いたんです。すると厳格で気の強かった母が「ありがとう」と言ってくれて。こちらが変わると相手も変わるんですね。

助け合う時代へ  

ヘルパーの仕事はとても感動が多いんです。感謝される感動、人に役立てる感動、色々なお話を聞ける感動。お年寄りと話すと、とても勉強になります。 

日本は超高齢社会を迎えています。お互いが助け合うしかない。そのためには技術や心得を身に付けておくことが大切です。

何も「社会のため」でなくてもいい、誰か1人に対してでも、親兄弟でも、役に立てればそれでいい。自分に技術があればそれが出来る。そういうことが求められる時代がいずれ来ると思います。 

上の世代の方々と力を合わせてもう1度、元気な日本を取り戻したい。ですから、より多くの人にヘルパーの素晴らしさを伝えることが私の仕事、こう考えて活動しています。

 

黒田 福美<くろだ・ふくみ>
1956年、東京都生(54歳) 桐朋学園 芸術短大演劇学科卒
77年のデビュー以来、「たんぽぽ」など数多くの映画・ドラマ・バラエティー番組に出演
80年代からは韓国通としても活躍 主著に「ソウルの達人」(講談社) 
黒田さんのオフィシャルブログはこちら

★本紙で再構成しています