惨状の中 東北人の忍耐強さに感銘 ガス復旧支援西光建設に聞く(1) [2011年6月24日10:35更新]

タグで検索→ |

noimage

(11年5月号掲載)

被災した仙台市の様子(4月2日、西光建設提供)3月の東日本大震災発生以来、全国各地の行政機関や企業から多くの人々が被災地入りし、ライフラインの復旧など様々な作業に携わっている。同月末から4月半ばにかけて、宮城県仙台市内で都市ガスの復旧作業に従事したガス工事会社「西光建設」(福岡市東区馬出、高丘利勝社長)もその1つだ。

同社社員らは「現場はこれまで見たこともないほどの状態。何が起こったら街がこうなってしまうのか─と思った」と話す一方で、「東北人の我慢強さと素朴な人柄に感銘を受けた」とも。

被災地の様子や現地での体験について、同社に話を聞いた。  



 

かつての住宅街や農地が跡形もなく消えていた。津波で大きな被害を受けた仙台市若林地区。西光建設社員が作業する現場のすぐそばには無惨な光景が延々と広がっていた。  







「現地の惨状を目の当たりにして、声が出なかった。原爆で焼け野原になった広島の映像みたいでした。カメラに撮るのも躊躇したくらいです。世の中こんなことが起こるのか-と思いました」

自らも被災地入りした高丘社長は現地の様子についてこう語る。 

4月7日深夜には震度6の余震があった。「揺れている時間がとても長く感じられました。福岡でも西方沖地震(05年)があったがあれとは比べものにならない。停電でテレビも映らない、情報がない。恐怖に襲われましたが、それでも最初の時よりもはるかに小さい、そう考えるとよっぽどだったんだろうな、と」(同社工事課・花田洋一さん)。 

*            *            * 

大震災発生直後、津波の影響で仙台市沿岸部にあったガス製造工場が損傷を受けた。そのため同市や周辺7市町村で都市ガス供給がストップしてしまった。 

再開するにはガス管を点検・補修しなければならない。「日本ガス協会」(東京都)は全国のガス会社に復旧作業の支援を要請、3000人近くが仙台市に駆け付けた。福岡からは「西部ガス」(福岡市)とその協力業者約170名が現地へ。そこで担当したのが若林地区のエリア(約1万戸)だった。 

同社の指定工事店である西光建設は、道路に沿って埋められたガス管の修理や敷設などを行う会社だ。同社社員7人が土木会社2社の10人とともに東北入りしたのは3月25日。仙台空港やJRが使えないため山形空港を経由し、県境に位置する宮城県大崎市・鳴子温泉の旅館に到着。マイクロバスで片道約2時間かけて仙台市まで通う毎日が始まった。 

(続く)