(11年2月号掲載) 本質をいとも簡単に見失い、むだな時間と労力を費やしたあげく、出来上がった新条例は前とほとんど変わらない。片や、騒動の発端となった議長関連の会社はその後も市発注工事を受注している。 そんな、本来の役割を果たしているとはとうてい言えない、市議会の体たらくぶりこそが問題だと指摘したのである。 本紙の報道後、読者から「確かにその通り」とする声が寄せられた。「騒動の最中も、なぜ条例を変える必要があるのかという疑問が消えなかった。言われてみれば、いつの間にか重要な点を見過ごす結果になっていた」(ある市民)。 みやま市を取材すると、議長をはじめ議会の低レベルぶりを知ることができるエピソードに事欠かない。 議長の疑惑が発覚し「条例そのものが問題だ」とされた時、政倫条例施行直前の市議選で初当選した新人議員からは「あんたら自身が作ったんやろうが」との声が上がった。だが「おれは知らんやった」と発言する議員がいたという。 08年夏ごろ、ある市民が西原市長に「議長とあまり親しくしすぎるのはいかがなものか」と知人を通じて進言した。「私は前回選挙で市長を支援した。それだけに、立場が違う議長との付き合い方には慎重であるべきだと伝えたかった」(ある市民)。 ところがこの話は議長に筒抜けとなり、後に開かれたある委員会にこの市民が傍聴に訪れた際、議長は市民を「議会に対して挑戦するつもりか」と怒鳴りつけたという。 ある市議は「議会では暴言や恫喝、見当違いの発言は日常茶飯事。ごく常識的な理論や理屈すら通らず、まともな議論を戦わせる雰囲気になかった」と語る。 市政の両輪である市長と市議は言うまでもなく、選挙によって選ばれた市民の代表・象徴であり、そのレベルは市民のレベルを映し出していると言っていい。 例えば子どもが万引きをしたとしよう。その親は「悪いのは子どもではない、法律だ。窃盗罪などというものがあるからいかんのだ、改正しろ」と言うだろうか。 これと同じ理屈が、みやま市議会では堂々とまかり通っている。だから、みやま市民とはそういう人たちなのだ─こう言われても仕方ないのではないか。 みやま市では今後、市営住宅の整備や消防庁舎の移転新設、上水道や光ブロードバンドの整備、小中学校の統廃合など大きな出費を伴う事業が控えている。 一方、人口は05年からの5年間で約2600人減り、市は約2億円の減収に。さらに現在、国から受け取っている合併特例債は段階的に減らされ、10年後にはゼロになる。「こうした事実を踏まえて将来を憂い、新しいみやま市に変えていこうという施策はまったく採られていない」(前出市議)。 市政や議会に危機感がないのは、すなわち市民に危機感がないからではないのか。こんな状況でみやま市に未来はあるのか。市民の皆さんには市政の現状を認識した上で、地元の将来について今一度、考えていただきたい。 なお、同市では2月14日、西原親市長が無投票で2期目の当選を決めている。
本紙が伝えたかったのはみやま市議会議長とその関連会社の不正受注疑惑そのものではない。
低レベルなみやま市議会(2)市民の皆様へ こんな議会、市政でいいの? [2011年3月23日11:38更新]
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まともな議論できない議会の雰囲気
厳しい現実に直面しているのに・・

